投資とギャンブルの違いをわかりやすく説明する方法
今日は投資とギャンブルの違いについて書こうと思います。
この話は色々な場面で話題になりやすい話で、特に株式投資は投資なのかギャンブルなのかという話は一度はしたことがあるのではないでしょうか。
今日はそのわかりやすい答えについて話していきたいと思います。
【例】投資とギャンブルの違いは期待値である
投資とギャンブルを分けるのは期待値であるというのは、よくある話ですよね。
特にパチンコ・パチスロをやっている人がよく使う言葉で、期待値がプラスなら投資、期待値がマイナスならギャンブルであるという論理になります。
この論理は一見間違いがないように見えますが、そうでもありません。
わかりやすい例で言えば、自己投資で考えてみましょう。
自己投資に対してそれをギャンブルであるという話は聞いたことがありません。
自己ギャンブルとは言わないですよね。
それでは自己投資の期待値はプラスかマイナスかどちらなのでしょうか。
おそらくプラスになるものもあれば、マイナスになるものもあるというのが正確な答えであると思います。
大部分がプラスになることは否定しませんが、マイナスになることもありうることを加味すると期待値だけて投資とギャンブルを分けるには無理があります。
そもそも期待値自体が正確に図れない場合もあるわけですから。
【例】投資とギャンブルの違いは長期的か短期的かである
これも株式投資の世界でよくいわれることで、投資は長期的な視野にたっており資産を徐々に作っていくもので、ギャンブルは競馬などのように短期的にお金を儲けようとする行為であるというものです。
これは、失うお金がどれぐらい早いかに起因していると思われ、株式投資で見れと長期的に資金を運用していけば負ける確率はほとんどない、だからそれは投資であるという理屈になると思います。
これも話を聞いていると、もっともなように聞こえますが正確な違いを示しているとは言えません。
いわゆるギャンブルの代表格であるパチンコやパチスロで考えるとわかりやすいと思いますが、数が少ないとはいえ、パチンコ、スロットで生計を立てている人は存在します。
いわゆる長期的に継続してギャンブルをしているにも関わらず生活ができているのです。
逆に投資の代表格である株式投資で長期的に負け続けている人も当然存在しています。
なので、長期か短期かでそれを投資なのか、ギャンブルなのかを判断することなど不可能なのです。
【投資とギャンブルの違いは再現性である】
それでは何が投資とギャンブルを分けているのでしょうか?
それは“再現性”である、というのが一番正しい答えてあると思います。
まず株式投資で考えてみましょう。
株式投資で長期的に利益を上げ続けている人は再現性を一番重視しています。
再現性がないと継続的に利益を上げることなど不可能だからです。
自分の勝てる型があり、それにお金を賭け続けている。
だから継続的に利益を享受できるのです。
一方、再現性のない型で株式投資をしている人もいます。
これは勝つのか負けるのかは50%になります。これでは再現性がありません。
一時的に勝つ可能性はもちろんありますが、長期的に見てよくてトントンであり、ほとんどの人は負けることになります。
この違いが投資とギャンブルを分けているのです。
また、パチンコやパチスロでも同様です。
パチンコ・パチスロで継続的に利益を上げている人は再現性があります。
勝てる勝負にお金を賭け続けているから勝てるのであって、適当にやっても勝てるわけがありません。
パチンコ・パチスロは投資であるというためには再現性が不可欠なのです。
全ては投資でもありギャンブルでもある
投資とギャンブルを分けているものは再現性である、ということに着目すれば株式投資だろうが、パチンコ・スロットだろうが投資にもありうるし、ギャンブルにもなりうるということになります。
おそらくこれが皆さんが一番しっくりくるのではないかと思います。
これはいわゆる自己投資にも言えることで、再現性をもって有効なことであれば投資になりうるが、再現性がないことはギャンブルそのものであるということになります。
人生はギャンブルと同じだという人も大勢いますが、それは自分の人生は再現性がないということをいっている(人生はロジックのように単純なことではない)のだと思います。
人生に渡って再現性があるものを“原則・法則”という
人生における再現性を考えると全ての人に平等に有効であるものは当然ですが少なくなります。
そんな中でどんな方でも再現性をもって有効な行為、それを“原則”や“法則”と言われるのだと思います。
例えば自己投資で本を読むなどして勉強を続けることは、もはや原則です。
全員が必ず利益を享受できる唯一の方法といえると思います。
【投資とギャンブルを分けているものは再現性であり、人生に渡って再現性があるものは原則という】
私はそう思っています。