【書評】『多読術』松岡正剛(著)・筑摩書房
【読書の歴史とキーブック】
本書は著者である松岡正剛氏の多読術に関する書籍となっており、著者の本との出会いと、人生においてどのように本と関わってきたのかということをインタビュー形式で進んでいく。
読書関連の本は、自分でもかなり読んでいると自負しているので、その中でも何か新しい学びはあるのか楽しみに読んだ(こういう本も楽しく読めてしまうのだ)。
本書で私が新しい学びがあったのは2点で、「読書の歴史」と「キーブック」というキーワードである。
このブログではこの2点を中心に著者の考えをのぞいてみよう。
【読書の歴史について】
読書の歴史については、時代ごとにずいぶん変わってきていると著者は語る。
その中で一番大きな変化は「音読」から「黙読」に変わったということであるという。
「あまり知られていないことですが、人類が黙読(目読)ができるようになったのは、おそらく十四世紀か十六世紀以降のことです。それまではほとんど音読です。」
そして、マーシャル・マクルーハンの仮説を取り上げている。
「人類の歴史は音読を忘れて黙読するようになってから、脳のなかに「無意識」を発生させてしまったのではないかというんです。言葉と意識はそれまでは身体的につながっていたのに、それが分かれた。それは黙読するようになったからで、そのため言葉と身体のあいだのどこかに、今日の用語でいう無意識のような「変な意識」が介在するようになったというんです」
暗記法や深い理解のために音読をすすめる本はたくさんあるのだが、時間効率的にどうなのかと疑問に思っていたのだが、歴史上、音読が基本であることがよくわかった瞬間だった。
ちなみに現在は「デジ読」の時代であり、「音読」→「黙読」→「デジ読」という変遷をたどっていることを著者は指摘している。
【複合読書法とキーブック】
続いてキーブックについての説明になるが、まず複合読書法という方法を取り上げておこう。
複合読書法とは、類書や似たような本はなるべく一緒に読むか、近い時期に読むかによって、想像以上に速く読めるし、アタマにも入りやすいという。
そういう、複線的で複合的な読み方をしていると、何かたくさんの本とネットワークしていく可能性をもった、いわば「光を放っている一冊」というものが必ずあると指摘しており、それを「キーブック」と呼んでいるのである。
読書好きなら経験があると思うが、一冊の中心的な本から派生的にある程度の本がつながっていくのがキーブックである。
著者はキーブックの例として、宮本常一の『忘れられた日本人』、ミシェル・フーコーの『知の考古学』などを取り上げている。
キーブックは人それぞれ異なると考えられるため、今後私のキーブックの紹介という観点で本のご紹介をするのも面白いと感じた。
【感覚的だが論理的】
本書では、その他にも「本になじむ方法」や「読書法」など様々な本に関することを語っているので参考にしていただきたい。
私の読んだ感想としては、文章表現が感覚的で抽象的な多いのだが、どこかに確固たる論理が通っている、そんな不思議な感覚にさせてくれる本であり、独特の世界観をもってる方だと思った。
著者は「読書は他者との交際なのです」と語っている。
著者らしい本との付き合い方だと思った。