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【書評】『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』北康利(著)・講談社

 
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【代表的日本人の1人 福沢諭吉】

〈「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」といへり〉〉

から始まる『学問のすゝめ』、もしくは1万円札の肖像画になった人というのが大方が福沢諭吉のことで知っていることだと思う。

著者は福沢諭吉の人物についてこう語っている。

「福沢諭吉はどういう人物か?そう問われて、慶應義塾の創設者、『学問のすゝめ』の著者、ということ以上のことを答えられる人は少ないのではないか。学者は業績で語られることが多いが、福沢諭吉の場合、彼が残した膨大な著者ではなく、むしろ慶應義塾を通して築き上げた「福沢山脈」と呼ばれる人物群像にこそ真の面目がある。

「彼はこれほど国家に貢献しながら、国家に依存することを潔しとしなかった。『一身の独立なくして一国の独立なし』そう説いて、彼は民であること、私立であることに、誇りを持ち続けた。福沢の『独立自尊』の精神(他に頼ることなく、自らの尊厳を自らの力で守ること)が今ほど必要とされる時代はない

本書は、福沢諭吉が日本という国に託した思いを、その人生を追体験することによってみなさんの心に届けられたらという著者の思いがある。

今回は、僕が本書を読んで福沢諭吉の人物について感じたところを簡単にまとめておこう。

【福沢諭吉の人物像】

・諭吉は後年(明治19年)、慶応大学で行われた講演の中で当時を振り返り、「出来難き事を好んで之を勤むるの心」の重要性を語っている

・元治元年(1864年)3月、諭吉は藩庁からの要請で中津藩に一時帰藩することになった。この時諭吉は、優秀な中津の青年6名を江戸へ連れていくことにしている。スカウトしてまで学問を教えようとした教師はおそらく彼ぐらいではあるまいか。教えることへの情熱と教師であることの誇りが感じられる

・諭吉は人の交際に関して、2つの大きな長所を持っていた。1つは一度会っただけで顔と名前を覚えることができたこと。もう一つは億劫がらずに手紙のやりとりを続け、一期一会を大切にしたことである

・「自ら実行しうる確信ある主張をし続けたところに、福沢諭吉の偉大さがある

・諭吉は毎日4時半頃起床し、散歩を日課としていた。朝運動すうと便通がよくなると医者から聞いたのが散歩を始めたきっかけらしい。ともあれ健康によいと聞くと一心に励むのが福沢流だった

諭吉は、不平不満を言う人間を嫌った。しばしば座興で〈馬鹿不平多(馬鹿は不平多し)〉〈空樽能鳴(空き樽はよく鳴る〉と揮毫している

【日本人の原点】

本書は福沢諭吉の人生を振り返る一冊となっている。

福沢諭吉の生きた時代は江戸時代からの士農工商に代表される身分制度を経験しながらも、明治という新しい時代の思想を作った人物だと思う。

それが、『学問のすゝめ』という形で示されている。

結局、『学問のすゝめ』は第17編まで発刊され、完結したのは初編が出た4年後の明治9年であり、全部あわせると実に340万部以上が売れたそうである。

当時のわが国の人口は約3,480万人と言われているから、国民の10人に1人の割合で読まれた本ということになる。

今でいうと1,000万部以上の大ベストセラーということになるだろう。

それほど、その当時の日本人に新しい時代の扉を開いたということであり、その影響力は計り知れないものであったのだと思う。

著者は最後にこう語っている。

壁にぶつかった時、人は「原点」に立ち返ろうとする。これからも福沢諭吉は、我々日本人のにとっての「原点」であり続けるに違いないのだ

日本人の原点を知る一冊を皆さんも読んでみて欲しい。

【さらに理解を深めるために】

『白洲次郎 占領を背負った男』北康利(著)・講談社

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